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名古屋高等裁判所金沢支部 昭和39年(う)129号 判決 1965年10月14日

主文

被告人を懲役一年六月に処する。

原審の訴訟費用中証人坂井栄吉、同坂井ふじい、同坂井澄子に支給した部分は被告人及び原審相被告人川村栄次郎こと金相旭の連帯負担とし、当審の訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

一然しながら刑法にいわゆる傷害とは、他人の身体に対する暴行により、その生理機能に障害を与えることと解されているのであるが、これは、あくまでも法的概念であるから医学上の創傷の概念と必ずしも合致するものではない。ことに他人の身体に暴行を加えた場合には、厳密に言えば常に何らかの生理的機能障害を惹起しているはずであつて、この意味で傷害と未だそれに至らない暴行との区別は、それによつて生じた生理的機能障害の程度の差に過ぎないと言える。両者の境界線を何処に引くかは抽象的には困難な問題であるが、(一)日常生活に支障を来さないこと、(二)傷害として意識されないか、日常生活上看過される程度であること、(三)医療行為を特別に必要としないこと等を一応の標準として生理的機能障害が、この程度に軽微なものは刑法上の傷害ではなくて暴行であると考えることができよう。然し結局は、等しく人の身体を保護法益として、刑法二〇四条の傷害罪と同法二〇八条の暴行罪が、共に法定刑の下限を科料としつつも、上限を前者は懲役一〇年後者は二年としている、主として量刑上の差異を考慮し、その犯罪の法的評価を、両罪のいずれを以て行うのが妥当であるかとの観点から個々の具体的場合に応じて決めて行く外はない。このことは強盗致傷罪の構成要件としての傷害の概念についても同様である。

二そこで本件について、これを見ると、医師松田勧作成の診断書(記録第一冊五三丁)には、「病名、右顔面擦過創並に打撲病、現症並に経過、右前額部に針頭大並に約〇・五糎の裂創二ケ所存在し右上下眼瞼、頭部に渉りて中等度の浮腫を認むるも、皮下出血、疼痛は認めず、上記疾病全治に七日間を要するものと認む」旨の記載があり、その作成日附は本件犯行の翌々日である昭和二一年九月一二日となつている。右医師松田勧は当審において、「坂井栄吉を診断した記憶は全くないが、右診断書は自分の作成したものである」旨を前提としつつ、「右診断書に基いて医師としての一般的見解を述べるとすれば、『針頭大』とは注射針の跡の血でもついていたのではないかと思うが粟粒より小さいものである、裂創とは、すりむいたようなものを言い『中等度の浮腫』とは、第三者から、どうしたのかと質問される程度の腫れを言うが、いずれも日常生活に支障を来さず通常看過される程度のものであり、特に治療の必要も認めない程度である」旨証言している。坂井栄吉は、司法警察官に対する第二回聴取書において「昨日御調べを受けまして詳しく申上げて行きましたが、少々の負傷位はいわなくても良いと浅い考えから申上げずに行きましたが、只今松田勧医師の診断を提出致しまして負傷を受けた状況を申上げます」と述べ(証拠――によれば坂井栄吉は昭和二八年四月一三日死亡している)、その予審判事の証人訊問調書の中では「強盗に入つた男のために襟を掴まれて引張られ前へ押付けられた時に畳に擦りつけられて出来た傷だと思う、医者の治療をして貰つたわけではないが、五日位で癒つた」旨(記録第一冊三一五丁裏、三一六丁)供述している。更に当審証人坂井澄子が本件犯行の状況についてはかなり具体的に記憶しているにもかかわらず、右坂井栄吉の負傷については全然記憶がない旨証言していることを併せ考えると、同人の右創傷は、前述の標準、観点からして極めて軽微で、未だ傷害と言うに当らず、暴行に止まるものと解するのが相当である。従つて金好哲の前記所為は強盗致傷罪を構成せず、被告人は強盗未遂罪の共同正犯としての責任を負うに過ぎない。(小山市次 斎藤寿 高橋正之)

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